朝である。
 今朝のモーリン宅は、いつもとは違う騒ぎが繰り広げられていた。
「あ、アメル? そのタケシーは一体……」
「やだリューグ。裏庭でタケシーさんっていったらする事は一つでしょ?」
 閃光。撃音。そして悲鳴。
「リューグもやるもんだねえ。野外でトリスを押し倒したんだって?」
「誤解を招くような表現をするなっ!」
 打音。
「はぶっ?!」
 もはや日常の一部となりつつあるケイナとフォルテのやり取りを横目に、ロッカはここに某騎士と某蕎麦屋の主がいなくて本当に良かったと思った。
 話の彼女は未だ目覚めておらず、彼女の兄弟子は我関せずといった態度で朝食を摂っている。
「おういアメル。ほどほどにしておくんだよ? 近所迷惑だからね」
「はーい。じゃ、タケシーさん。招雷を後八発ほどお願いしますね?」
「増えてるじゃねえかっ!」
 閃光。震動。もはや声にならない悲鳴。
「ま、タケシーもアメルも加減しているみたいだし、大丈夫じゃない?」
 あっけらかんとミニス。
「そういう問題じゃないと思うんだけどな……」
 ロッカ、苦笑せざるを得ない。
「でも、もともとはリューグが悪いんでしょ? 自業自得よ」
 ミニスの言葉に周囲の者は一斉に頷いた。
 誰も彼も皆、アメルのお仕置きに口を挟もうとは思っていない。
 巻き込まれるのが嫌だからだ。
 それはロッカとて同じ。何だかんだ言いつつも席を立とうとしないのがその証。
 しかしネスティが何も言わないのは少し変な感じがする。
 そう思いつつネスティのほうを向いたロッカは、ネスティの眉が少し詰められているのを見た。
 どうしたのか、と思うより先にネスティは席を立つ。
 気にするものは、ロッカ以外いない。
「どうした、ロッカ? いきなり立ったりなんかして」
「あ、フォルテさん、ネスティさんが……」
 ロッカの言葉にフォルテはちらり、とネスティの席を見て、何気なく言い放った。
「トリスとハサハを起こしに行ったんだろ」
「それにしては、何だかピリピリしたような顔してましたけど……」
「ほっとけって。大方今の騒ぎのせいだろ。アイツがとんがってるのは」
「そうなんでしょうか……」
 何か腑に落ちないものがあったが、ロッカは無理矢理納得して再び食事の席に戻った。
 実はロッカの勘は当たっていたのだが、彼にそれを知る術はなかった。
 トリスが起きた時、日はもう頂点近くまで昇っていた。
 しかも自分で起きたのではなく、あまりに遅いので様子を見に来たミニスに起こされるという有様である。
「うぅーネス、起こってるだろーなぁ……」
 眉間にしわ寄せた兄弟子の様子をうんざりと想像しつつ、恐る恐る調理場を覗き込んだ。
 が、そこにネスティの姿はなく、皿を拭くアメルの姿があった。
 中に入ると、アメルが気が付いて振り向いた。
「あ、遅いですよトリス? 朝ご飯、もうありませんよ」
「うん……ところでネスは?」
「ネスティさんなら、朝から何処かにお出かけしていますよ」
 良かったですね? と笑うアメルに、曖昧に笑うトリス。
「ご飯、どうしますか? 軽いものならすぐ作れるんですけど」
「あ、お願い。今から道場でモーリンに稽古をつけてもらおうと思うんだけど、後でアメルもどう?」
「いえ、あたしは……色々、後始末がありますから」
 意味ありげな笑みを浮かべるアメルに、トリスは本能的な危険を感じた。
「良かったら、トリスもします?」
「あ、後でねっ! じゃ、よろしく!」
「はい、分かりました」
 トリスを見送ってから、アメルは小さく苦笑した。
「本当に、ただの洗濯物の後始末なんですけどね」
 冷たく、乾いた気配が背後から迫ってくる。
 それは、殺気と呼ばれる気配。
 ネスティはその気配を後ろに感じながら歩を進める。
 その足元には先ほど召喚したライザーがいる。
 倉庫のある通りを抜けて、金の派閥の近くを通る。
 そこで彼は今が派閥の兵士が警備の巡回を行っている時間である事を確認し、通りを戻って波止場の方へ、ゆっくりと歩く。
 背後の気配が焦れてきているのを感じる。
 それを無視して歩き、人通りのない一角で立ち止まり、振り返った。
「監視だけでなく暗殺者を放ってくるとはな。あの人も本腰を入れてきたと言う事か」
 呟きながら、紫のサモナイト石を手に取った。
 口を開くより先に、殺気が膨れ上がって爆発し、後ろからつけていた男達が彼に襲い掛かってきた。
 短剣で切り掛かってくる彼等に、ライザーの招来が降る。
「誓約のもとに汝の力を望む……っ!」
 詠唱するネスティの脇腹を、暗殺者の一人が投げた小刀が深く傷つけた。
 脇を襲う灼熱に息を呑み、しかしそれに耐えて彼は詠唱を続ける。
「汝の呪縛の力をここに示せ。出でよ!」
 詠唱の完成と同時に、ネスティはライザーを引き寄せて後退した。
 地面が震え、ずるり、と包帯を巻いた巨大な人型。としか形容できないものが姿を現す。
 パラ・ダリオだ。
 暗殺者達が驚きに息を呑んだ瞬間、パラ・ダリオは大きな闇色の爆発を連続して起こした。
 爆発がやみ、色を取り戻した路地に立っていたのはネスティと、ライザーと二人の暗殺者。
 それ以外は皆、麻痺して地面に伏せている。
「今の音を聞きつけて警備兵がもうすぐ来るだろう。……どうする?」
 ネスティの言葉に彼等は顔を見合わせ、次の瞬間には消えていた。
 後にはネスティとライザー。そして麻痺した暗殺者達が残される。
 向こうから来る複数の足音に、とりあえずネスティは安堵の表情を浮かべ、その場から立ち去った。

ーNEXT−